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病気と戦ったパスカル

01/20 05:09
昨日は肺炎で2カ月

入院してた人が帰って来ました。

お正月のお見舞い時には熱を出して点滴して寝ていました。

このお爺さんは頑固でユニットの数名しか話をしない人でした。
女性は好きですが。

病院の記録を読むと介護や治療に抵抗して暴れたり拒否が強かったとありました。

相変わらずだなと
思っていた。

お帰り!と出迎えた
ナースに手を振って
ニコニコしています。

ナース達も驚いた。

ユニットに戻り来る人来る人にもニコニコしています。

よっぽど病院が嫌だったのでしょうか?

私は嫌われていないか
恐る恐る
近寄り、お帰り!
と声かけました。

にっこり笑って

手を強く握って離しませんでした。

良かった!

お帰り待ってますの

色紙がきいたのかな?


家族にもお礼言われました。
安心しました。

さて、


『人間は考える

葦(あし)である』

17世紀フランスの数学者パスカルの言葉。


彼は病弱で40代で亡くなったという。

食事も流動食しか取れなかった。

しかし、彼は人生の荒波に精一杯に戦って生きた。

葦はしなやかに立って成長している。

風に吹かれると倒れそうに成りながらしなるが、

風がやむと再び
立ちあがる。


一方どっしりと構えている樫の樹は風にも負けず立っているが、

何度も吹く風にとうとう根元まで出して倒れてしまう。

葦は人間と同じだ。

風に逆らうことなく身を任せ、

再び立ち上がる。

人間は考える葦である。


彼は病弱な身を

葦に見立てて

表現したようだ。

何か病気と戦っている人に

勇気を与える

言葉だったんだと

思って紹介しました。



また、古代の葦は

筆の竹冠がない字を使っていました。

棒のようなもので字を書いていた。

後世になり、竹の皮を剥ぎ竹の繊維で字を書いた事から、

竹冠を付け

今の筆となった。

弘法大師空海は

竹の筆を愛用していた。

弘法は筆を選ばず



竹も葦も毛筆も

自由にこなして

いたからだろう。





葦や竹は



人間が生きる


ためのヒントがある


ように感じてならない。


『人間は


考える


竹である』。


合掌

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