02/23 04:09
『仏教に学ぶ
八十八の智恵』
ひろさちや著
を時々読み返している。
僧侶ではなく、東大の文学部を出て宗教を学んでいるいわゆる宗教家です。
私も僧侶ではないが、宗教を学んでいるので、考えが驚くほど似ているので好んで読んでいます。
その中にまた、嬉しい良寛さんの話が出てきたので紹介します。
仏教語に、「不可思議」という言葉がある。
サンスクリット語のアチントヤ(考えられない)を訳したものである。
数多い仏教語の中から何か一語選べと言われたら、私はためらわずにこの不可思議を選ぶ。
キリスト教を「奇蹟の宗教」と呼ぶとすれば、仏教は「不可思議の宗教」あるいは「不思議な宗教」と呼べそうだ。
仏教は奇蹟を認めず、奇蹟を必要としない宗教であることが不可思議だからだ。
その仏教の不可思議を感じているとき、思い出すのが、良寛の詩である。
『花は無心にして蝶を招き
蝶は無心にして花を尋ぬ。
花開く時蝶来たり
蝶来る時花開く。
われもまた人を知らず
人もまたわれを知らず。
知らずとも帝則(大自然の法)に従う。』
知らず知らずのうちに、われわれは自然の大道に従って生きているという意味です。
ごくありきたりの光景が美しくもあり不可思議なことである。
この不可思議なことを仏教では奇蹟として表現しているのだ。
仏教語で不可思議という言葉は奇蹟という意味で大自然をさしており、良寛さんの詩がそれを説いていると書いいている。
自然を愛し、死ぬ時はこの自然を形見に残しますという辞世の句を思い出します。
ありのままに生きる
ありのままの自然を
伝え残すことが仏教の
本質だと言いたかったのだと思います。
わたしも不可思議という言葉を大切にしたいと思いました。
この言霊に出会えましたことに感謝
合掌