近くの農家の栗の木に葉が育ってきました。
枝が別れ、芽が伸びています。
栗は縄文時代から、日本の生活にはなくてはならないものでした。
20メートルも伸びる木は家の柱や村を守る見晴台にも使われていました。
また、非常食として栗の実は重用されていた。
栗の木を見ると古代に想いを馳せる。
平安時代の絶世の美女、和泉式部は一女を持っていましたが、為尊親王と不倫関係になり、一女を産みました。
そのため、離婚させら
れ、親からも勘当され
てしまい、育児に困った式部は、薬師如来像を産着にくるみ、泣く泣く赤子を捨てました。
時は流れ、ある時式部は姫路の圓教寺に行きました。
急に雨にあい、近くに
あった大きな栗の木の
下へ逃げ込みました。
雨宿りの時に
「苔むしろ
敷島の道に
ゆき暮れて
雨の内にし
宿る木の影」
と詠みました。
栗の木の枝がしだれて、重なり和泉式部を濡れないように護ったのでした。
雨があがり、近くの農家に泊めて頂くことになりました。
そこにいた、賢い少女が大事に持っていたのが、あの薬師如来でした。
あの時に捨てた娘だったのです。
その娘を京に連れ帰ったのです。
それが、小式部内侍と呼ばれ、歌人として活躍したという。
この栗の木は700年の月日を経て、天然記念物として残されています。
栗の木は、桜の木と共に日本人の心のふる里
の木として古代から
私たちを護ってくれて
いるのです。
合掌
写真は青森で五千年前に日本人が住んでいた三内丸山遺跡の栗の木で復元した見晴台です。